矢 口 一 夫
前相国寺管長 前鹿荘寺住職
 梶谷宗忍筆

 金色の輝きが鈍り黒漆が顔を覗かせているため、金閣を補修するように、と鹿苑寺前住職・村上慈海師から依頼された。寂びた印象とは異なり、痛ましいばかりだという。確かに、墨をこすりつけたように二層、三層の壁面は汚れ、縁は泥道のようにまだらになっていた。池苑に浮かぶ金閣は、日本人が創造しえた建築美の粋ともいうべきものだが、時の経過による風化か、30年を経て容赦なく打ちのめされていた。
 補修の下見に来て、従来の方法だけでは北山の麓にある金閣を守ることはできない、と感じた。金閣の創建当時の手法を用いて、その輝きを永く保つことの出来る方法を考えなければならない、というのが私の結論だった。
 漆は紫外線に対して極めて脆弱である。また現在、使用されている金箔は非常に薄く、紫外線を透過する無数の傷穴(ピンホール)がある。従来の箔を使用するかぎり、どうしても基底部ともなる漆が破壊される結果になる。装飾と見なされている金箔には、本来紫外線を遮断する性能がある。この性能を最大限に利用すれば、紫外線の漆層への透過を最小限にとどめることができる。そのためには、漆塗り工程を充分におこない、厚い金箔をその上に押せば、箔と漆の相乗効果を得ることができる。
 従来の薄い金箔では重押しをおこなっても、やはり傷穴が余りにも多く、箔下漆がにじみでた。傷穴の少ない、光沢のあるしなやかな金箔を私は求めたのである。また歴史的に見ても、この当時は今よりも厚い金箔を使用していた形跡がある。後代、製箔技術が向上して非常に薄いものになったが、私は創建当時のものを作りたかった。そこに従来の金箔の五倍の厚みを有する「五倍箔」を私は考案したのである。しかし、五倍箔を押すためには、漆の調合に相当の苦労を強いられた。普通の箔下漆では接着しないのである。苦心の末、調合に成功した時、私の脳裏に五倍箔を押された金閣がはっきりと浮かんだ。
 金閣補修の第一歩は、新しい金箔と純度の高い漆を探すことであった。そのため自分の足で各地を回り、納得のいくまで使用すべき材料を吟味した。漆に関しては、材料の良さが仕上げの美しさになる。しかし、美しさに更に耐久性を持たせることが、私の課題であった。何度も試し、日本産の漆のよさを確かめた。そして五倍箔に対して、60工程を越える漆塗りをおこなったのである。この漆塗りの多工程は美しさのためばかりではなく、下地の強化をも意味し、内部から発生する破損原因を除去するためであった。
 二層、三層内部は黒蝋色塗り仕上げにした。黒蝋色に塗られた内部は、水鏡のように静謐を湛えている。透明感のある漆黒の壁面、床は緊張した空間を構成している。金箔の贅に伍す美しさである。

 この目的は、創建時の金閣を再現しようとする趣旨に沿うもので、記録に残っている絵画を復元することである。この復元のための第一資料としては、京都工芸繊維大学に保管されていた天井画の模写、鹿苑寺所蔵の記録写真等があった。これは全体を映し出すものではなかったが、有力な手がかりとなった。その他、付随する関係資料の収集として、三千院、大徳寺、中尊寺、西明寺、東福寺、法界寺、六波羅蜜寺、等々で現地調査をおこなった。
 天井画の作者は狩野正信とも伝えられているが、確たる記録もなく、狩野派、土佐派、住吉派と調査し研究をおこなった。細部に亙っての時代考証、資料比較は煩雑をきわめたことは、いうまでもない。また内部が蝋色仕上げになっており、それに調和する天井画復元に留意しなければならなかった。

 
 
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